第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・優秀賞受賞作品


   『 自帰依自灯明』
        


                                            園田 翔 

 いじめと人間関係というのはとても密接に関わっていて、人間関係があるからいじめがあるといってもいいと思う。いじめに限らず、人間関係というものは煩わしい。心理学者のアドラーが言った「悩みの全ては人間関係が要因である」と。初めてこの言葉に触れたときは疑ったが、最近はそのとおりなのかなと思ってきた。人間関係があるから時間がとられるし、悩むし、辛いし、お金も貯まらない。我ながらとてもひねくれていると思う。しかし、これは大学生の時に出会った読書という貴重な経験の中から、自分で考え、つかみ取ったひとつの答えである。このような哲学的な答えは一生を使ってもわかることではないと思う。しかし、今の私の救いの一つとなっているのは確かだ。

 このような私がいじめを受け、どのように自分の考えを確立してきたのかを書いていこうと思う。

 私は平成7年の6月6日に大阪で生まれた。後一年遅ければ悪魔の子であると自慢できたのだが、それすら叶わなかった。小さい頃はどちらかというとわがままで比較的元気な子であった。人を笑わせるのが好きで、よく汚い言葉を使っては人を笑わせていた。その頃は、周りにもいじめるような友達はいなかったのだが、小学一年生の終わりに転機が訪れる。両親が離婚し、母が再婚するために奈良に引っ越すといったのだ。
 引っ越しなどドラマの世界の話であると思っていた私は、友達と離れ離れになるのが嫌で泣き喚いた。しかし、小学校低学年の子どもが泣き喚いたところで、大人の決定に抗うことなどできず、私は小学校二年生になるタイミングで奈良県に引っ越した。

 引っ越し先は絵にかいたような田舎だった。前住んでいたところも比較的田舎と呼ばれる場所だったが、レベルが違った。周りにお店と呼べるものは、個人が経営している商店しかないから車がないと生活できないといったような場所であった。

 奈良の家には現在の父と祖母が住んでいた。父の仕事は林業で、母は専業主婦になるつもりで奈良に来たようだ。しかし、結婚してから父が凶変した。ことあるごとに母に対して「働かへん奴が飯を食うな」だの「お金の使いすぎだ」だのと言ったのだ。地元ではないから、周りに頼れる人もいない。そういう意味では、母もいじめを受けていたと言ってもいいだろう。しかし、母は強かった。

 しびれを切らした母は、自分が働かないと、子供を育てられないと思ったようだ。近くの福祉施設で正社員として働き始めた。当時三十代後半。一からのスタートは決して楽ではなかっただろう。

 母は私の誇りだ。尊敬する。だからこそ、今までの私は母に逆らうことなど考えず、母が全てだった。母の言うことは絶対だったし正しいと信じてきた。しかし今になって思う。本当にそうだろうかと。母を尊敬しているから自分の意見を言ってはいけないというのは違うのではないかと。このような考えになったのは読書による影響が大きい。読書によってあらゆることに疑問を持ち、自分自身と対話したおかげである。読書は僕を救ってくれた。

 当たり前だが引っ越しをすると周りの環境が一変する。人間関係もそうだ。田舎というところは特に仲間意識が強く閉鎖的だ。小学二年生で越してきた私は、既に形成されている人間関係に割って入らなければならず、苦労した。しかし、良い人たちばかりで比較的早く溶け込めたのかなとは思う。気がかりだったのは、家の近くに住む人たちである。この人たちには嫌な思いをさせられた。

 近くには同級生が一人もおらず、ふたつ年上のA男とひとつ年上のB男と一つ年下のC男がいた。周りに年の近い人達がこの三人しかいなかったから、自然と学校終わりなどはこの人たちと遊ぶことになる。年が違うと、単純に年上が権力を手にすることになる。つまりA男の言うことは絶対だ。A男の機嫌を損ねてはいけない。逆らうと無視される。それもA男だけではなく、他の二人からも無視される。覚えている限りで二回ほど経験があるが結構辛い。それでも近くに友達がおらず、その人達とつるむしかなかった。一人になるのだけは嫌だったから。

 僕を入れたこの四人にはあるルールが存在した。それは、まず私達には一人ひとりにポイントを付与される。RPGゲームの体力ゲージのようなものを想像してもらえればよい。たしか一人あたり五ポイントくらいだったような気がする。

 何に使うのかというと、A男から遊びの招集がかかり、それに応じないと一ポイント減る。これが0ポイントになったとき、絶交になるわけだ。私は遊びに気乗りしない日は遊びの連絡があっても断りたかったのだが、絶交されるのが怖くて行きたくなくても遊びに行った。そして他の三人を笑わせるなどして機嫌を取るのだ。

 私がいじめられていた最大の要因は、頭が悪く、その上運動神経皆無、顔が不細工であったことなどにあると思う。つまり、人として優れているところがなにひとつなく、いじめの対象に選ばれやすい素質をたくさん持っていた。

 年上のふたりも今思えばそこまで運動ができたというわけではない。お山の大将というやつだろうが、私よりは断然できたし、頭も平均以上にはよかった。C男も医者の息子で頭が抜群に良かった。だから、私がこの中のカースト最下層に位置するのは、当然と言えば当然だったのかもしれない。抜け出そうという努力もしなかった。これらの状況に加え、おどけた性格が災いし、ランドセルを取られて投げられたり、おもちゃの剣で体をしばかれたりと様々な被害を被った。しかし、私は笑ってそれらの仕打ちを受けるしかなかった。この人たちを楽しませることが、僕がこの場にいる価値だと思っていた。

 今なら、そんなにきつい思いをしてまで保たなければならない関係なのか?と思う。しかし当時は、一人になることが怖かった。村の行事等で、一人ポツンとでいるところを大人に見られることを想像すると吐き気がした。だから必死だった。

 このような経験があったおかげで、私は人の顔色をうかがうような暗い性格になった。だから、友達が少なかった。静かな性格だったため、女性受けが比較的良く、女の子とよく遊んだ記憶がある。それはそれで楽しかったのだが、男友達が少ないことを周りに見られていると思うと、苦痛だった。

 だから、中学に上がるタイミングで、私はおどけ精神を復活させた。勉強もできずスポーツでも人の気を引けなかった私は、人を楽しませることでしか自分の居場所を確保できなかったのだ。汚い言葉もいっぱい使った。思春期真っ只中の男子はそれで大いに笑ってくれる。しかし、女性からはどんどん距離を置かれるようになった。小学校から僕を知っている女子が僕をどのように思っているのかを考えると、心が重たくなったが、一人になるよりはマシだった。

 おどけた人間を演じることで、いじめられるということはなくなった。いじめられることがなくなったというより、いじめに見られなくなったと言う方が正しいと言うべきか。不思議だが、暗く内気な人が何かをやらされている構図はいじめに見えるが、明るくおどけた人が同じことをやられていても、いじめにはみえない。僕はそれで「いじめられている」というイメージを人に持たれないことに成功した。しかしその選択は、僕の心に別の悩みをもたらした。人を笑わせようとして笑ってくれると嬉しいし、それはとても気持ちの良いことだ。しかし、何か満たされないものがある。それが何なのかはわからなかった。

 高校生になっても、中学と同じ立ち位置を確保した。これが一番楽だった。

 高校生の頃から私は読書をするようになった。きっかけは祖父母の家にあった夏目漱石などの本を手にとってみたことだ。名前は知っているが、読んだことがないという好奇心からだった。これまで趣味と言えるものをもっていなかったし、人に言っても恥ずかしくない趣味が欲しいと思っていたこともあり、それをもらって読んでみることにした。

 一ページ読んでは放り投げる日々が続いた。まったく理解できないし面白くない。しかし、人に会うたびに「趣味は読書です。好きな作家は夏目漱石です」なんていうものだから、やめるにやめられず、何とか読んでいたが、続くことはなく、最終的には人前で本を開くだけになってしまった。つまり、夏目漱石を読んでいる私さえ見てもらえればそれでよいという考えだ。幸い、私の入学した高校は偏差値の低い高校だったから、夏目漱石を読むような人はいなかった。だから、内容や感想を聞いてくるような人もいなかったのである。

 そのような中身のない読書から抜け出したのは大学生になってからだ。私は文系の学科に進学したため、時間的にはかなり余裕があった。だから、この際本腰を入れて読書をしてみようと思い、インターネットで情報を仕入れ、武者小路実篤や川端康成、三島由紀夫や太宰治など著名な作家の比較的読みやすいという本に絞って購入し、読んだ。

 その中でも、太宰治の「人間失格」という作品にはとても衝撃を受けた。まるで自分をモデルにしているのではないかというくらい、その作品の中に自分を観た。

 主人公の葉蔵は人間への恐怖心から自分が道化になることによって、自分が恐怖心を抱いているということを隠す。他の人にはない自分だけが持つ恐怖心というものに恐怖し、そのズレを隠すために道化を演じる。しかし道化を演じることにも葉蔵は苦痛を感じるのである。葉蔵は人間に恐怖し関わりたくないと思いながら、人間との関係を捨て切ることができないのである。

 私は衝撃を受けた。私が中学生の頃に満たされなかったものが何なのかわかったような気がした。この後、人間失格を何度か読み返したが、はっきりしたことはわからなかった。しかし、私はその本によって精神的に救われたのは事実だ。この感覚は人に教えられて得られるものではない。自分で「これだ」と思ったものに手を出してみて、自らつかみ取るしかない。それが明日なのか、一年後なのかはわからない。

 坂口安吾は著書「堕落論」において、「まず地獄の門をくぐって天国へよじ登らなければならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があるだろうか。(中略)何万、何億の堕落者は常に天国へ至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変わりはない」と語っている。この天国という部分を、仮に自分を救うことであると解釈すると、自分が求めている答えをみつけるというのは容易ではない。本物を掴みたいと思い、本物を追い求めても、そこにたどり着けるかどうかはわからない。それでも本物を追い求めるという覚悟を持たなければならないということである。
 この坂口安吾の「堕落論」も私が好きな作品の一つであるが、人間失格と堕落論には共通点が存在する。それは、「現代の常識やモラルに疑いを持っている」という点である。
 今あるモラルは社会が形成するにしたがって作られていったにすぎない。この考えは私自身をおおいに救ってくれた。今まで無理をしてまで人とのつながりを持っておきながら、人間関係に煩わしさを感じていた。しかし、一人になったからといってなんだというのだ!「孤独は人のふるさと」と坂口安吾も言っている。一人でしかできないこともある。そう思った瞬間、目の前がパッと開けたような気がした。孤独に生きようと意識の中で覚悟を決めた。

 今回の文章では、私がいじめられた体験を元に、どのようにいじめを回避しようとしたか。いじめ事態は回避できたが、本当の自分とは違うおどけを演じることによって別の悩みが芽生え、そこで悩みを解決しようと読書に救いを求めたということを書いた。だから、今回のテーマである「私はいじめをこう克服した」とは少し主旨が違っているかもしれない。

 今、私以上に苦しいいじめを受けている人たちがたくさんいることだろう。私は自分の編み出した克服法が新たに自分を悩ませる要因になった。これはよくない克服法であるが、これがあったからこそ読書に出会い、世の中のモラルに疑問を持ち、そして自分自身の考えを持つきっかけを得ることができた。

 「自帰依自灯明(じきえじとうみょう)という言葉がある。これは「自らを依り所にする」という意味である。自らを救う答えは自分自身で見つけるしかないのだ。

 自らを拠り所にする方法の一つとして、芸術作品に触れるという方法があると私は思う。

 私は読書だったが、映画でも絵画でもなんでもかまわない。もちろん、芸術でなくとも、自分がこれだと思うものであれば何でも構わない。

 偉そうに語れるほど、私自身大層な人間ではないのだが、この文章が誰かの目に留まり、一人でも生きていく上で何かヒントになれば、幸いである。